核抑止の本質と日本の選択 ― 核保有なくして真の抑止なし

核抑止の本質とは何か

核抑止とは、相手国が核兵器を使用することを思いとどまらせる仕組みです。その核心は、相手が核攻撃を行えば、自分たちも同等の、あるいはそれ以上の核報復を受け、受け入れがたい壊滅的被害を被るという確信を持たせることにあります。この確信がなければ、相手は核兵器を使用する誘惑を感じる可能性があります。

「抑止(deterrence)」とは、敵に特定の行動を取らせないよう心理的・戦略的圧力を与える概念です。その本質は「報復の確実性」、つまり敵が攻撃を行えば自国も致命的な被害を受けるという認識を相手に植え付けることにあります。この相互破壊の恐怖が成立してはじめて、現実的な抑止が成立します。逆に言えば、相手に「反撃される確実性」が感じられない限り、抑止は制度上も心理上も機能しません。

歴史的に見て、核抑止が機能した最も明確な例は冷戦期の米国とソ連の関係です。両国が大量の核兵器を保有し、相互確証破壊(Mutual Assured Destruction: MAD)の状態にあったため、直接的な核戦争は回避されました。どちらも「核を使えば自分たちも滅びる」と確信していたからです。この構造を「相互確証破壊」と呼び、抑止理論の実証として、これほど効果的な事例は存在しません。つまり、核兵器の存在こそが戦争の拡大を防ぐ最大の要因であり、「核を持つことこそが核の使用を防ぐ」という逆説が現代安全保障の現実です。

核保有国同士の間では、1945年以降、大規模な直接戦争が一度も起きていません。一方、非核国に対する核保有国の軍事行動は複数あります(例:ロシアのウクライナ侵攻における核恫喝)。これは、核兵器が核兵器を抑止する唯一の信頼できる手段であることを示しています。インドとパキスタンの関係も参考になります。両国が核保有国になって以降、従来頻発していた大規模な通常戦争は起きていません。核が核を抑止している典型例です。

非核抑止手段の限界

通常兵器による抑止の不十分さ

通常兵器だけで核攻撃を抑止することは極めて困難です。通常兵器は強力であっても、核兵器がもたらす瞬間的かつ広範囲の壊滅的被害に匹敵する報復能力を持ちません。相手国は「通常兵器で報復される程度なら耐えられる」と計算し、核兵器の先制使用に踏み切る可能性があります。

例えば、相手が日本本土の主要都市に核ミサイルを1発撃ち込めば、数百万人の犠牲と国家機能の麻痺が生じます。これに対し、日本が通常兵器で相手の軍事拠点を攻撃しても、相手国にとっては「許容可能な損害」と判断される恐れがあります。この非対称性が、通常兵器抑止の致命的な弱点です。

非核国家がいかに高性能な通常兵器や防衛技術を誇っても、核兵器を保有する国に対しては抑止力として機能しません。その理由は単純で、通常兵器による報復の規模と速度が、核攻撃による破滅的損害に見合わないからです。国際法上の非核三原則や道徳的主張は、核を持つ国の現実的な判断には影響を与えません。よって、核兵器を保有しない国家が「核の脅威を抑止」できると信じるのは、厳密には一方的な期待に過ぎません。

外交・経済制裁および拡大抑止の限界

外交的な抗議や経済制裁も、核使用の抑止にはほとんど効果がありません。核攻撃を決意した国は、すでに国際的な孤立や経済的苦痛を覚悟しています。過去の事例を見ても、イラクや北朝鮮に対する制裁が核開発を完全に阻止できなかったように、事後の制裁は核使用の「事前抑止」にはなりません。

多くの非核保有国は、米国の「核の傘」による安全保障を受けているとされます。しかし、国家間の安全保障約束には「相互利益」という前提条件があります。もし仮に日本が核攻撃を受けた場合、米国は自国都市への報復攻撃を招くリスクを負ってまで、確実に核報復を実行するでしょうか。その実行保証が完全に他国の意思に左右される以上、それは「抑止」ではなく「信頼への依存」に過ぎません。ウクライナがブダペスト覚書によって核放棄後に侵略された事実は、この依存構造の危険性を明確に示しています。これが「同盟の信頼性問題」です。

核抑止が機能するメカニズム

相互確証破壊の原理と第二撃能力

真の核抑止は、相手に「核を使えば確実に同等の核報復を受け、国家的存亡が脅かされる」という確信を与えることで成立します。この状態を実現するには、自国が信頼性の高い核戦力を持ち、たとえ先制攻撃を受けても報復できる第二撃能力(セカンド・ストライク)を備えていることが不可欠です。

潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)や移動式ミサイルなど、相手の先制攻撃で全滅しない運搬手段が重要です。これにより、相手は「核攻撃しても報復を防げない」と認識せざるを得ません。

戦術核兵器の役割と心理的効果

戦略核兵器(都市壊滅型)だけでなく、戦術核兵器(小型で戦場限定使用可能)も抑止に重要です。相手が戦術核で限定的な攻撃を試みた場合、こちらも同等の戦術核で対応可能でなければ、段階的なエスカレーションを止められません。戦術核の不在は、相手に「小規模な核使用なら報復されない」との誤算を生みます。

数キロトン規模の戦術小型核(tactical nuclear weapon)は、限定的な軍事抑止を目的とし、戦場や地域単位での均衡維持に使われます。この小型核は「使うため」ではなく、「使わせないため」に存在します。敵が「わずかな侵攻でも核反撃を受ける可能性」を認識すれば、攻撃そのものを思いとどまります。よって、戦術核は現代における最も現実的で柔軟な抑止手段です。

核抑止の根幹は、物理的破壊力だけでなく心理的効果にあります。攻撃者が「報復を受けてまで攻撃する意味がない」と判断した時点で、行動は止まります。この心理的封鎖は、通常兵器では生み出せない絶対的効果です。すなわち抑止の本質は「反撃の能力」ではなく「反撃の確信と恐怖」にあります。

したがって、完全な核抑止には、戦略核と戦術核の両方を備えたバランスの取れた核戦力が求められます。

結論:核兵器の使用を確実に抑止できるのは、相手と同じ、あるいは同等の核報復能力を有し、それを相手に確信させることだけです。通常兵器、外交、経済制裁、同盟の核の傘はいずれも、決定的な抑止力とはなりません。核抑止の本質は、核兵器を持つこと以外に存在しないのです。この厳しい現実は、理想論ではなく、80年近い核時代の歴史が証明しています。核拡散を防ぐ理想は重要ですが、特定の国が核を独占し脅迫する状況下では、非核国は自らの安全を他国に委ねるしかなく、それが最も危険な選択であることも事実です。

核兵器使用の抑止は、核兵器を実際に保有しなければ成立しません。理論的にも、心理的にも、核を持たない国家は核攻撃への報復を保証できず、抑止の土俵に立てません。道徳や外交条約は抑止にならず、唯一の現実的手段は「同質の報復力を有すること」です。それが国家の生存を守る最小限の条件であり、現代世界の安全保障構造そのものを支える冷徹な真理です。